卒業生訪問(1) |
総仕上げのときを迎えて |
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樺|中工務店 広島支店
川崎医科大学付属病院改修工事作業所
松岡 伸浩氏 |
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私が建築の世界へ進もうと思ったきっかけは、中学校の時、法隆寺の棟梁、故西岡常一氏著書「木のいのち 木のこころ」という本を読み、物作りの楽しさ、難しさを感じたからです。幸いなことに、実家が奈良県にあり、法隆寺も近く何度も建物を見に行け、本の中に書いてある実物に肌で触れることが出来たことも大きな要因の一つであります。その当時の気持ちを忘れることなく、1998年4月に近畿大学工学部建築学科に入学しました。
大学での生活についてですが、正直、勉強を真面目にしていた超優等生だったということは全くありません。それどころか、逆に優等生では全く無かったように自分自身では思います。そんな、私が学生時代で一番思い出に残っていることは、4年生の研究室(生活空間研究室)での活動、卒業論文です。論文のタイトルは「水上住宅の様態と居住実態に関する研究」で、内容はタイの水上住宅で生活している人々の生活スタイルを調査した論文です。毎日8時45分には研究室にとにかく行き、卒業論文を書いていましたが、なかなか、思うように進まず、涙を流したこともありました。だから、完成をした時の喜びは人一倍のものがありました。卒業論文を通して文章の書くことの難しさ、自分の思いを他人にうまく伝えることの難しさを学びました。
次に社会人となっての話ですが、私の会社は入社して1年目は全員大阪で1年間の研修があり、神戸の寮に全員が寝泊りを共にします。寮生活はとても楽しくいろいろなイベントを自分達で企画、実行し自分達が主体となって行いました。その中で同期同士の繋がりをとても強く感じ、また、PDCAのサイクルを考える訓練にもなっていたように思います。さて、業務ですが、私は見積部、作業所、設計部と3つの部署をローテーションし、会社内での各部署の役割と仕事、会社組織のどこに立場があるのかを学びました。1年目は仕事を覚えるというのではなく、会社の中で人の顔を覚え、「こんなときにはこの人を頼っていけば問題は解決できる」という、人と人との繋がりを学んだように思います。
社会人2年目に入り、岡山県倉敷市にある作業所に配属になりました。その現場は某大学の記念講堂で収容人数1500名の扇形をした大空間のある建物でした。躯体工事の最中はコンクリート、鉄筋、鉄骨工事と重要科目を主担当として仕事をしていましたが、初めての作業所で正直「何をしていいのか?何をするべきなのか」と悩みの毎日でした。特に鉄骨工事は規模と形状が複雑なだけに、現場でうまく納まるものなのかと心配で眠れない日もありました。ですが、そんな心配など無用のように作業員の方々は毎日の仕事をこなし、納まらないことがあってもいろいろな方法を用いてうまく納めていく、「これがプロの仕事なのか」と感心し、納め方を学びました。また、仕上げ工事になると外部足場の主担当にもなり足場解体計画を考えたりもしました。建物の形状が複雑なだけに、どうやって解体していくかを考えるのに苦労をしました。ですが、苦労した甲斐があり、足場解体を無事終了した時には、心に来るものがあり目頭が熱くなったのを今でも覚えています。無事竣工を迎え、建築主から労いのお言葉を頂いたときは「この仕事に携われてよかったと」心底思いました。
次に現在の現場ですが、病院の改修工事を行っています。仮囲いのすぐ隣では病院が稼動しており水・火・埃・騒音、電気の5つについては毎日気を使いながら作業を行っています。また、工事は既存の建物の中に新築の内装工事を行うことがメインであり、なかなか、図面のようにうまくいかず、現場で決定することがあります。前の現場では全く分からなかった仕上げの納め方についても少し分かるようになり、作業員の質問については「即回答、当日回答」を自分に言い聞かして仕事を消化しています。毎日、何らかの事件が起こる現場監督という仕事は、学生時代に描いていたよりしんどくて、大変な仕事です。しかし、他の業種より出来上がった時の喜びは何倍も大きく感動の起こる仕事であることは間違いないと思います。
最後になりますが、今回、このような執筆の機会を与えていただいたことをとても光栄に思っております。建築学科卒業生、在学生の皆様、母校の今後益々のご発展を祈願いたします。
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